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日記、雑記、時々ペイント

おかね だいじに

7月3日から新紙幣の発行・流通が始まり、自販機や券売機など現金を扱う全国の企業が対応に追われている。正確には「変更決定からずっと対応に追われていた」と言うのが正しいかも知れない。

バスなどの交通機関では、設備の交換が間に合わずに乗客同士で紙幣の交換が行われるという珍事もあったらしい。カードゲームかな?

企業側としては余計な設備投資だと愚痴をこぼしたくもなるが、政府は偽造防止という目的があって今回の新紙幣作成に踏み切っているのだから仕方ない。和同開珎の時代ですら偽造があったらしいが、結局悪者のせいで他の人が割を食うのはいつの世も変わらないようだ。

通貨偽造はそれなり以上に重い罪になるが、やはりお金が国の保証を以て存在しているからなのだろうか。ある意味国家に反逆する行為だもんね。

歴史を扱うテレビでは、渋沢栄一を筆頭としてお札の肖像に選ばれた人達の特集を組むことが増えてきた。

正直自分も渋沢栄一が一万円札に取り上げられるまで「何の人だったっけ」という程度の認識だったので、ここらで扱ってくれるのはありがたい。今時はネットで調べられるが、テレビを流しながら情報を得られるならそっちのほうが楽だ。

お宝鑑定のような番組では、当時の〇円硬貨や〇円紙幣が何十万何百万という値をつけられるということがよく起こる。当時の価値が無くなった貨幣には製造費ぐらいしかかかっていないというのに、状態がいいとか数が少ないとかで当時よりも更に高い値段になっているのは不思議な気がする。

というかお金にその価値以外の金額をつけるのが数学で言う発散っぽくて怖い。レモン一個にレモン二個分のビタミンCが含まれてるレベル。

有名な世紀末あべし漫画でも「今じゃケツをふく紙にもなりゃしねえってのによぉ!」とモヒカンが言っているが、確かにいつの時代であってもその貨幣自体に力があるわけではない。前述の通り、あくまで自分達を管理する巨大な組織が保証しているだけということを忘れてはならない。

「たぬきが葉っぱをお金に変える」というイメージも、もしかしたら『かたち』あるものを『た』抜きが『かち』あるものに化かすという言葉遊びが生んだのかも知れない。

あ、これ使えるかも。(自画自賛)

ところで札束風呂って最近見なくなった気がする。今の時代は電子マネー風呂なのかな?