31から始めたブログ

日記、雑記、時々ペイント

(職を)求めよ、さらば与えられん

気温の急降下とファンヒーターの稼働のせいかお肌カッサカサですわよ。

あかぎれではないが、指の背に斑点が出て非常に痒く、それを無意識に掻きすぎると皮膚が更に傷つく。薬を塗ればある程度収まるあたり、やはりステロイドは素晴らしい。『皮膚万能薬』と書いて『ステロイド』と読む日の到来も近いだろう。

日課の求人探しだが、年単位で求人を出し続けている会社に親近感すら湧いてくる。

それはさておき、建築のような現場作業者的な仕事に体力と適性が足りないのでただでさえ少ない候補を更に狭めているが、製造系の会社で何となく良さげな求人が数件あった。

今は給与の優先度はかなり低く、社会復帰を優先している。情報だけでは信用はできないが年間休日や残業時間、福利厚生といった面で働きやすい会社が望ましい。

『健康で文化的な最低限度の一人暮らし』を満たせることを主条件に、正社員という括りも外して柔軟に探すのだ。まあそうでもしないと本当に求人が少ないので…。

お気に入り登録した企業については現段階で応募書類を作れるだけ作っておいて、教習所を卒業して免許更新する頃にはすぐ動けるようにしておきたい。

自分と同じ状態の人が多いのか、少しでも良さげな求人が出ると割と応募が殺到する。同じハロワの求人でも売れるものと売れないものの差は大きいので、ずっと出ている求人は尚更魅力が無いということになる。(直球)

「職を探しているのは自分だけではない」という謎の仲間意識が生まれると同時に、負けていられないというライバル意識も芽生える。

俺たちの就職はこれからだ!(打ち切りEND)

人間100年でも夢幻の如くかな

先週、父方の祖母が100歳の誕生日を迎えた。

祖母は現在施設にいて記憶も殆ど無くなってしまっているが、自分の親族で100歳を超える人が出るのは意外だった。祖母の近くに住んでいる伯母曰く、施設の人によれば「身体は元気なので105歳ぐらいまでいけそうです」とのことらしい。

合わせて伯母から父に「曾孫ができた」と報告があったので、これで祖母は玄孫(やしゃご)もできたことになる。すごい。

玄孫は平均25歳間隔で子供が子供を生んで尚且つ自分が100歳まで生きなければ不可能な偉業である。生物学的に種の繁栄に寄与する方法の一つを十分に満たしていると言えよう。

一方自分は33歳で未だ浮ついた話も職も無いので生物学的にはまずい気がする。障害や難病も抱えていないならせめて仕事で経済を回すとか色々ありそうだが、今は育成枠ということで勘弁してもらいたい。免許を取ったらすぐ応募したい求人が出てきたので我慢我慢。

しかし、親に孫の顔を…ということ以前に結婚、ひいてはその前段階の恋愛、更にその前のコミュニケーションという部分に難がある。会話ってどうするんだったっけ…?

数年前、今でも付き合いの続いている大学の友人三人のうち一人がマッチングアプリで結婚した。イケメンという部類ではない(遠慮なし)が大学時代から彼女ができて別れてを唯一経験していたので、「やっぱそういうところの経験値と積極性が必要なんだな」と自分を含めた残りの三人で納得していた。

こっちは年間350日以上一緒にスマブラマリパマリカ桃鉄で過ごしてたからな。でも間違いなく楽しかったから後悔はしていない。反省はしたほうがいいかも。

冷静に考えると、それらを一緒に楽しむことを許容できる女性がいわゆる『自分の好きなタイプ』なのだろうか。ただでさえ交流範囲が狭いのでその辺りのことすら分かってないのは痛い。

マッチングアプリは昔のお見合いシステムが変化したもので、結婚という真摯な目的があれば利用するのに何ら問題は無いと思う。今時のシャイな若者からすれば、お互いを周りが知っているお見合いの「後は若いお二人だけでどうぞ、おほほのほ」という流れのほうが嫌だろう。

自分がどう思うかに関係なく、生涯独身率が男女ともに上がっているのは決して喜ばしいことではない。言い方は悪いが、自分の老後を支えてもらう若者が減らないように今の自分が頑張らなければいけない。

『子供を作って増やす』というのは種の繁栄の直接的な方法だが、『子供を作る余裕ができる・子供を作りたいと思える国にする』ということも間接的に子供を増やすことに繋がる。それこそが国の仕事でもあるか。

自分は100年どころかせいぜい60年ぐらいまでしか生きられないと思うので、尚更早く周りに還元したいものである。

実に面白い(例のBGM)

昨日それなりに盛り上がっていた兵庫県知事選挙だが、まさかテレビで速報テロップが流れるほどとは思わなかった。

結局真実が分からないまま『オールドメディアの敗北』という言葉が一人歩きしている気がするが、形はどうあれ投票率が過去最高だったという事実は喜ばしいことだろう。その点は他の都道府県も見習うべき点ではなかろうか。

この選挙の結果は人の信仰対象が変わった証拠だと思う。

良い悪いを論ずるつもりは無く(そもそも自分にそこまでの判断材料が無い)、今まで偏向報道や捏造といった部分で不信感が募っていたテレビに代わり、いよいよネットが大きな力を持ち始めている。

もちろん「テレビの言うことは嘘」と判断するのは自由だし今まで好き勝手してきたメディアへの因果応報というのは気分がいいが、それが「ネットに書かれていることは正しい」の証拠にはならない。これでは「テレビが言ってるから正しい」と主張する人と変わらない。

世に暗躍する扇動者がこれから主戦場をメディアからネットに移す(既に移しているかも知れない)のは容易に想像できる。そうなると尚更自分達のネットリテラシーが求められる。

「テレビが言っていた」という人より「自分で調べて判断した」という人の方が考えを改めにくい。いくら言葉を選んでも意見を否定されると「こいつは自分を否定している」と思ってしまうからだ。

肝心の候補者の公約等を差し置いて「俺を否定する奴は陰謀論者」みたいなレッテル貼りに終始しないよう気を付けねば。

話がまとまらないが、斎藤さんが選挙で勝ったのは事実であり、それ以上でも以下でもない。しかし、それに付随する(させようとする)物事の真偽は分からないし、見誤ってはならない。

嘘まみれのオオカミ少年でも最期には本当のことを言っている。もし100パーセント嘘をつく人がいるならば、それは100パーセント本当のことを言う人と信頼度は変わらない。そしてそんな信頼できる(?)噓つきは現実にいないし、多くの物事において「AじゃないからBが真実」というような完全な二択パターンにはならない。

政治関連の記事はどうしても言葉足らずになって真意が伝わらないことが多い。まあつまるところ「言ってることの反対が正解になるのは石原〇純の天気予報ぐらいだよ」って感じです、はい。良〇さんごめんなさい。

うじ(うじした感情を)しゅうい(に撒き散らす)物語(にもならない記事)

次の教習が五日後ということで文字通り何もない日が続いているが、昨日一日の時点で自分でも分かるぐらい焦りが募っている。ブログを書くことが気を紛らわす唯一の方法とも言える。

朝起きた時に左の奥歯が痛かった。恐らく歯ぎしりをしていたのだと思う。最近見る夢も、内容は不明瞭ながらストレスが溜まっていることははっきりと分かる。

この焦りは一昨日発表された危険物の合格者の欄に自分の番号が無かったからというのもある。無職が親に受験料を出してもらいながら不合格とか、親のプレゼントを目の前でゴミ箱に捨てたかのような感覚に襲われる。

もちろん資格そのものは対応した仕事に就かない限り価値は低いとも言えるが、それでも「決められた日にイベントがあるのに準備できていなかった」という事実は変わらない。ぶっちゃけ仕事もそんな感じで評定がボロボロだったので、まるで成長していない…。(安西先生)

よりにもよって自分のお金で受けたものではなく人に貰ったお金でやらかしているからなおのことダメージが大きい。

そんな状態なので元々頭に入ってこない簿記はもちろん、何か新しい資格を…という気にもなれない。新しく受験しようにも参考書から受験前の宿泊費まで全て親に出してもらうことになるので、意識したくなくてもプレッシャーしかない。人のお金だと尚更『取る必要の無い資格』を取る理由も自由も無い。

昔の自分にたくさん選択肢があったぶん、「お金も職も無いし親に頼るしかない」という選択肢しか残っていない状況に全く慣れない。もちろん人によっては「親に頼れるなら十分マシ」とも取れるし親も「どんと来い」という姿勢を見せてくれているが、「かつて自分が嘲笑していた大人になっているぞ」と過去の自分が背中を刺してくる感覚が拭えない。

少なくとも来月教習所を卒業するまでは動こうにも動けないので、今は気を強く持って耐えるのだ。『実家にいても気が休まらなくて一人になりたがるタイプ』の自分に実家暮らしの無職は向いていない。ニートや引きこもりにも才能が要るのは間違いない。

3年前に退職した時、一足先に辞めた後輩A(年齢は上)と自分と同じ日に辞めた後輩Bで飲みに行き、LINEグループを作った。後輩Aは既に転職先で働いていたが、「どちらか就職したら教えてください」と作られたグループは未だ更新されずにいる。

後輩Bも自分と同じ状況なのか、それとももう就職していてそんなことは忘れたのだろうか。それは分からないが、少なくとも自分は仲良くしていた二人なので、就職できたら必ず報告しようと思っている。

ネガティブなことを考えていたら自然と文章が『〇〇ない』という否定的な構成になることに気づいた。

吉幾三が東京に行きたがる理由が分かった気がした。

土日は求人も更新されず何も進まない日になるので陰鬱としやすい。社会人時代と真逆で土日にテンションが下がりやすいとは思わなんだ。

噛む噛むエブリシング

去年逆流性食道炎になってからは『食べ物をよく噛む』ということを意識するようになった。そうでなくてもテレビやネットで「よく噛みましょう」と言う識者は多い。

「よく噛めって具体的に何回ぐらい?」と調べると大体30回が目安になっている。

30回と聞くと多そうに感じるが、実際に数えてみると全く噛みきれていない部分が多いことに気づく。特に今の自分は嘔吐の感覚が怖くてとことん細かく砕こうとするため、口に運んでから飲み込むまで50~60回は噛んでいる。

もちろんその分食べる時間は遅くなっているが、以前多かった食事中のしゃっくりが全くといっていいほど出なくなったので、早食い(あくまで自分の身体基準で)が直ったと思われる。

また、よく噛むことには『満腹中枢が刺激されて少ない食事量で満腹感を得られる』というダイエット的に嬉しい効果もある。自分の場合は胃が弱くなったことによる食事量の減少も相まって全盛期の半分以下にまで落ち込んだので、1年で20キロ近く体重が落ちた。

もちろん食べすぎで余計なエネルギーを蓄えて太るのは良くないが、自分のように食べなさすぎだと身体を維持するエネルギーにすら届かず、主に筋肉が減ってしまって貧弱な身体になってしまう。

人間は内臓に近い位置(つまりお腹)から太りだす。そこから身体の末端に向けて太くなるので、痩せる時はその逆で進行する。筋肉が無いまま痩せてもお腹の肉は最後の最後でしか落ちないため、いわゆる餓鬼体型(身体が細くてポッコリお腹)になりやすい。

見た目も悪いし服も合わないし筋肉が減ると日常生活にも支障をきたすので、体重を減らしたい人は極端な食事制限からではなくぜひ筋トレと有酸素運動から始めて『代謝の増加による体重減少』を目指してほしい。

食事もいきなり健康志向に舵を切ってもストレスが溜まっては本末転倒なので、『漫然と口に運ぶのではなくしっかり噛む』ということを意識するだけでも効果はあると思う。

闇営業で干された宮〇さんも得意のセリフを変化させて「ちょっと待って、・・・今噛んでないよね?」とかやればテレビに復帰できるんじゃないかな。

誰がタイヤじゃなく車体を転がせと言った

三日で6時間の教習は疲れるぞい。

今日は小雨が降る中、坂道発進とコース周回及びAT教習をした。

元々ビビリなのもあって坂道発進は時間がかかりつつも一度もエンストせず(ギリギリの場面もあったが)クリアできた。検定ではコースを回る中で坂道発進も挟むので、疲れや緊張でクラッチレバーを急に離したりしないよう注意しなければ。

そしてAT教習はスズキのスカイウェイブ400に乗ってみた。いわゆるお手本のようなビッグスクーターだが、想像以上にでかいしMTと比べてタイヤは小さくてホイールベースが長いから旋回性能が非常に悪い。

ニーグリップができないので足と腰を突っ張って安定させる…という理論は分かるが、実際に乗ると他のことに注意が向いて疎かになる。低速域ではアクセルを常に一定にしながら後輪ブレーキで制御するというこれまたMTとは違うやり方で困惑した。

何とか教官についていったが、クランクは車体の長さと不安定さから非常に難しい。右に切ったハンドルを戻す時についアクセルが緩んでしまい、動力を失った車体が勢いよく右に倒れて自分もマリオカートの緑甲羅をくらった時のような勢いで転がった。(赤甲羅は上に打ち上がる)

幸いケガは無かったが、「バイクの免許はMTのほうが取りやすい」というネットの声は本当だと実感した。AT限定で受けると一本橋とクランクが本当に鬼門だと思う。

将来的にビクスクに乗りたいと考えていたが、少し考えさせられる経験だった。

教官は「安定感と快適性で選ぶならむしろアメリカンがいいですよ」と言っていたが、フォルム的にはあまり優先度が高くないのよね…。乗る人に左右されるというか、自分みたいな覇気の無い低身長の人間が乗ってもバイクに乗せられてる感が強い気がする。とはいえいい勉強にはなった。

明日から車の新規教習生が大量に入るらしく、いきなり6日間の待機期間が生じる。そして次の時間はいきなり第一段階の見極めというある意味ハードスケジュールである。

感覚が鈍らないための対策は浮かばないが、とりあえず身体を休めて少しでも取り回しができるよう筋力をつけなければ。

あとついでに求人も見ておかないと。

経験に勝る教本なし

同じ時間にバイクの教習を受ける人がいないというのは寂しいものである。

まあいたらいたで「張り合いがあるな」という喜びが3割、「俺だけ上手くいかねえ」という焦りが7割を占めるだろう。

教官に聞いたら現段階ではバイク教習者は10人もいないらしい。時期が時期だから『これから申し込みたいけどスケジュールを詰められない人』は4月以降に回してもらってるとかなんとか。仕方ないね。

今日の一時間目は昨日できなかったバランス走行を重点的に練習した。教官が兄の同級生から最初の人に戻ったので「昨日は一本橋がボロボロでした」と伝えると「じゃあ早速練習しましょう」と実践。

とりあえず一回やってみたところ、なぜかスムーズに行けた。教官が「…できてるじゃないですか」と不思議がるのでなんか自分が嘘をついたみたいになって慌てて釈明した。何を釈明すればいいのか分からないけども。

昨日の失敗の時点で何となくコツを掴めていたようで、補足説明を受けながら更に時間を伸ばすテクニックを教えてもらった。スラロームもバイクの傾きとアクセルのタイミングを身体で覚え、両方とも安定して検定の合格タイムをクリアできるようになった。

二時間目はまた別の教官に変わり、400ccと125ccでの操作感覚の違いを経験。

重い方がグリップが利くというか安定感が半端ないので、バイクに乗っている人がだんだん大きい排気量を求める理屈が分かった気がした。

今のところ自分が興味あるのはスズキのバーグマン200とヤマハのトリシティ155というスクータータイプなのでAT限定でも乗れるのだが、ニーグリップの安定感が大きいMTのほうが免許は取りやすいと思う。

明日は二時間目にAT教習があるが、ニーグリップ無しでスラロームとかできる気がしない。

ここ数日は動画サイトで二輪教習関係の動画を観たり教本を読んでいるが、やっぱり実際に乗ってみるのが一番手っ取り早い。思考より感覚ですわよ。

これから先の講習では何かを重点的に練習することはないので、初めのウォーミングアップ(自由走行)の時間で好きな場所を走ることをおススメされた。

いざ卒検という時に失敗しないよう一本橋とかは特に重点的に練習しとこう。

相応に疲れるけどやっぱり乗れるようになるとバイクは楽しいですわ~。