有名な故事成語に『先ず隗(かい)より始めよ』という言葉がある。
現在は意味が二つあり、「①計画は言い出した者から実行せよ」という『言い出しっぺの法則』的な意味と、「②壮大な計画を成すには身近な所から手をつけていくべし」という『千里の道も一歩から』的な意味がある。
しかし、高校時代にこの故事成語とその由来を聞いた時から、自分は何となく「この意味でいいのか?」と思っている。
由来(脚色あり)
中国。時は春秋時代。燕(えん)の国は隣国の斉(さい)から攻撃を受け、徐々に疲弊していた。燕の新たな君主となった昭王は何としても斉に報復したかったが、優秀な家臣が集まらないということで、学者の郭隗(かくかい)に助言を求めた。
すると郭隗は「あの~、これ僕がまだ学者になる前の話なんですけどぉ」と、すべらない話みたいな導入で語りだした。
郭隗「昔ね、ある王様が家来に金渡して『ええ馬買うて来いやー』言うたんですよ。一日千里走るぐらいのええ馬。そしたら家来が何買うた思います?死んだ馬の骨ですよ。はぁ?ってなるでしょ。当たり前ですけど骨見せられた王様もうマジギレで。家来にぐわーって詰め寄って『お前何してくれてんねん!』って。もう他の家来がわーって必死に止めて、『とりあえずこいつの言い分聞きましょう!』みたいな感じで王様なだめて。
そんで骨買うて来た家来が得意げに言うんですよ。『死んだ馬の骨に金を出す奴がおるんやったら、いい馬持ってきたらもっと金出してくれるやろて思うやないですか。後は向こうからやってきますよー』いうて。そしたら数か月後ですよ。ホンマにいい馬がめっちゃくちゃ集まってきて。千里走れる馬なんて結局3頭も来たんですよ。うわーマジか!って。3頭ってヤバッ!母を訪ねて三千里が3日で終わるやん!って。感動も薄まるわ!みたいな。」
鉄板ネタを話し終えた郭隗は総括として昭王に提案した。「いい人材が欲しいんやったら、まずこの郭隗を優遇してください。そしたらもっと優秀な奴らが『あんな奴が持て囃されるなら俺はもっと優遇されるやろ』って全国から集まってきます。所詮自分は『馬の骨』なんで(ドヤァ)」
かくして昭王が助言に従い、郭隗に家を与えて重用した結果、続々と賢者達が集まって燕の国は復興を果たしましたとさ。
解釈違い?
千原ジュニアみたいな郭隗になってしまったが、『先ず隗より始めよ』は郭隗自身が言っている。実際に行動を起こしているのは昭王なので、①の「言い出した者から実行せよ」という意味は違う気がする。
また、②の意味では郭隗を『身近なこと』と解釈しているが、郭隗は自身を「大したことない人物」としているので、身近かどうかは関係ない気もする。
話の肝は「大したことない人を重用したら更に有能な人が集まってきた」なので、一番近い解釈としては『海老で鯛を釣る』なのではないだろうか。
考えれば考えるほど、この言葉は使いどころが限られている。由来だけ見れば、少なくとも上の立場の人間が使う言葉ではない。身近なことからやっていく大切さを説くだけならば、「小さなことからコツコツと」と西川きよし師匠の言葉を借りればいい。
自分は郭隗だった・・・?
由来を見るに、この言葉は正に自分が日頃から言っている内容を表している故事成語なのではないだろうか。
このブログは、はてなブログのトップページに載った時に初心者ブロガーから「こんな適当なブログでもいいなら俺も続けられそうだ」と思ってもらうのが目的の一つである。これは言うなれば、運営の方々に対する『先ずハム王から始めよ』だ。
知らず知らずのうちに自分は郭隗になっていたのかも知れない。
そして今度の就活でも、採用担当者に「自分を採用してもらえればもっと優秀な転職者がやってきますよ」とアピールすればWin-Winだろう。
実際に優秀な人が来た時に自分が切られないようにしなければ。