31から始めるブログ

日記、雑記、時々ペイント

言葉のPL法

負の感情を言語化するのは難しいが、自分は発言の最後につける「知らんけど」という言葉が嫌いである。ネット上では同じ感覚を持つ人がそれなりにいるようで、ヤホー知恵袋や教えてゴーに同意を求める書き込みが散見される。

「知らんけど」は関西発の言葉で、今では全国的に使われて(主に若者の間?)流行語にもなったとか何とか。

自分は決して知らないことに対して憤りを覚えているわけではなく、「知らないなら言うなよ」的なことを言いたいわけでもない。そもそも世の中は知ってることより知らないことのほうが圧倒的に多い。

しかし、知らないなら知らないなりの言葉の選び方があるだろうと思う。

「意見に自信が無い」「情報をよく知らない」ということは、本来なら立場が弱いはずである。しかし、たとえ初出が関西弁だとしても「知らんけど」はその立場から乖離したぶっきらぼうな言葉に聞こえる。

端的に言うと「お前よく知らんくせになんでそんな偉そうなん?」と思う。

本人の中で偉そうにしてるつもりが無くてもそう思う人はいる。例えば、岡山弁では「早くしなさい」を「はよしね」と言う。聞き慣れた岡山県民は気にせず使うが、何も知らない人からすればとんでもない暴言なので自分は使わない。「知らんけど」も関西弁なので本質は変わらない。

更に言えば、「知らんけど」は発言の内容どころか発言自体の責任を否定・放棄するような突き放した印象を与える。せっかく相手は『発言を聞こうとする姿勢』をとっているのに、それすら否定されているような感覚に陥る。

「知らんけど」ではなく「詳しくはないけど」とか「確証は無いけど」という言葉に変えるだけでかなり印象が変わる。同じ内容でも「この発言には自信持てませんけど何か?」から「この発言には自信が持てないです、すみません」ぐらいには変わると思う。関西弁を捨てられないなら「よう分からんけどね」でもいいかも知れない。

「分からん」と「知らん」ですら印象が違って聞こえるのは、音の響きとかの本能的な部分なのだろうか。「知らん」のシュパッと切り捨てるような響きが冷たい印象を云々かんぬん、と考えだしたらキリがないので、ここらでお開き。

一度も使ったことがないのに一生分の「知らんけど」を書いた気がする。