31から始めるブログ

日記、雑記、時々ペイント

いとをかし、片腹痛し、マジパない

マックのチーチーダブチを見る度に「ちゅーちゅーたこかいな」という言葉を思い出す無職である。まだ30前半ですわよ。

少し前に、とある芸人が「古典の授業はその後の人生の役に立ってない」的な発言をして、SNS上で物議を醸していた。

自分も30を超えて古典の知識を必要とする場面に出くわしていないが、それはあくまで個人の経験の違いであって、「そんなに周りがやんややんや言うことか?」と思う。もちろん言外に「古典の授業なんて不要」というニュアンスを感じたからかも知れないし、昨今のワイドショーのように『芸能人という特殊な人が世間に物申す風潮』に違和感を覚えたからかも知れない。

SNSを眺めていると、古典を教科として学校で教えることについて賛否があるものの、その意見が真っ向からは対立していないということに気づいた。というのも、必要派はシンプルに古典知識の重要性を説明しているのに対し、不要派は「古典よりも優先して子供達に教えるべきことがある」という論調が多かった。

確かに、実社会で必ず直面するであろう年金や税金といった知識は国民全員が知っておくべきだと思う。かくいう自分も詳しくない。なんか雰囲気で税金を取られてキレている感じである。

かといって社会・公民の授業内容を分厚くすると子供の勉強量も増える。じゃあ別のものを減らそうとなった時に、古典は最初に候補に挙げられそうではある。

とはいえ、個人的には古典は英語よりも優先順位の高い科目だと思っている。一応言っておくと自分が英語嫌いというわけではなく、公文式でちゃんと最終教材まで修了している。

日本もグローバル化が進んでいる以上、世界とのコミュニケーションツールである英語は必要不可欠ともいえる。しかし、海外を相手にする日本人が増えることと同じかそれ以上に、自国のことを理解している日本人が増えることも重要だと思う。

英語と遜色ないぐらい違う言語となっている(時系列から言えば今の言葉が変化している)古文だが、そこから得られる日本の歴史もある。人に歴史あり、言語もまた然りであろう。いわゆる若者言葉はカゲロウの寿命のような短い歴史だけども。

『役に立ってないから不要』ではなく、役に立った経験が無いという人が多い以上、授業で扱わなければ古典はいずれ忘れられていくジャンルなのは間違いないので、歴史保存という観点では必要かなと思っている。

春はあげぽよ。