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日記、雑記、時々ペイント

低みの見物

最近というほどでもないが、『LGBT(Q)』という単語をそれなりの頻度で見かけるようになった。

個人の性的志向は確かに他人がどうこう言うものではないので気にしていないが、トランスジェンダーに関しては、『身体的には男だが本人は女だと自認する』スポーツ選手が女性部門で優勝したというニュースが物議を醸している。

自分も流石にこれは看過できないのではないかと思う。

ヒトは生物学的に男女の2種類に分けられている。股間を見れば分かる。

男女それぞれに生き残るための役割があって、それを全うするために身体が成長する。

『狩りをするための生物』と『子孫を守るための生物』で筋肉のつき方や骨格に違いが出るのは当たり前で、本来そこに上下という概念は無い。

しかし、ことスポーツにおいては、その数値の差こそが順位を決定づける要素になっているため、平均値が違う以上男女で分けられている。

そうして数値で分けられた場に性自認を持ち込んではいけない。

言うなれば、マ〇オカートの50ccグランプリに「俺は50ccだと信じてるから」と150ccのカートを持ち込むようなものである。

もちろん同性婚の認可など少数への配慮は可能な限り行われるべきだが、極端でもいけない。

世の中のあらゆるものは最も割合の大きいものに向けて作られている。

自分は成人男性の身長分布において確か下位0.5%あたりの人間だが、だからといって電車の吊り革をもっと下げろなどとは言わない。

世の女性がたが「かれぴっぴや旦那の身長は170cmは欲しい」とのたまっても、それは生物が生き残るための本能的な感覚に基づいているので自分は「そうかそうか」と涙を呑むだけである。