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日記、雑記、時々ペイント

単機能でもいいじゃない

昨今のスマートフォンがあまりにも多くの機能を搭載しているため、そろそろ『フォン』の部分が無くなるのではないかと無駄な心配をしている無職である。

もはや外に出かける際はスマホさえあれば大体の用件をクリアできる。時間の確認だけでなく、音楽を聴いたり写真を撮ったり(ついでに加工したり)、ほにゃららpayで買い物もできる。

もちろん多機能であること自体はすごいが、かといって腕時計やウォークマン、カメラ等が今後不要になるかと言えば、そうとも限らないと思う。

説明しづらいが、一つの機能しか持っていないものを使うことでそれに集中できる気がする。

綺麗な写真はスマホでも十分に撮れるが、ずっしりとしたカメラを持って撮影場所を探す感覚や、レンズを覗きながら対象に向けてピントを合わせる感覚というものは、それでしか味わえない。

自分は写真関係の趣味は持っていないが、楽しんでいる人は三脚をセッティングしている間すら楽しそうに見える。欲しかったゲーム機のコンセントを繋いでいる間も楽しいみたいな感覚なのだろう。

別の観点で言えば、例えば電車でがっつり新聞を広げている人は間違いなく新聞を読んでいるし(邪魔だけど)、ウォークマンから延びるイヤホンを耳に差してヘドバンしている人は間違いなく音楽を聴いている(邪魔だけど)。

ところが、スマホを見ている人は何をしているか分からない。ネットニュースを見ているのか、あるいは電子書籍を読んでいるのか、はたまた偶然目が合った自分の悪口をSNSに書いているのか……。

スマホが何でもできるぶん、ぱっと見でその人の行動の情報が分からない。その不明さは警戒心とストレスを生み出す。

とある海外の大学では、「電話をしている他人を不快に思うのは、通話相手の話す内容が聞こえず自分で補完しなければならないから」という実験結果が出ている。これは『ハーファログ(half+dialogue)』と呼ばれる現象らしい。

これと似たようなことが起こるので、会社や仕事の現場で時間確認のためにスマホを取り出しても、下手をすれば他人には遊んでいるように思われる。

もちろん全員が全員そう思うわけではないが、腕時計を確認する行動ならばまず疑われることはない。『李下に冠を正さず』とは正にこのことよ。

感覚という観点と他人の目という観点から単機能デバイスのメリットを書いたけど、まあ無くしたらそれぞれのメーカーが悲しむので、自分は少なくとも腕時計と財布、ウォークマンはずっと持っていると思う。

単機能でもいいじゃない、多細胞生物だもの。はむを。