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日記、雑記、時々ペイント

たった一人の太れる男

購読している数人のブロガーさんの記事を読んでようやくアマゾンプライムの値上がりメールに気付いた無職である。

そこから「最近アマプラで映画観てないや」→「映画のレビューでも書くか」となったので、面白かった作品をおひとつ紹介。

1957年にアメリカで制作された『十二人の怒れる男』。

まさかのモノクロ映画だが、映画や小説のジャンルの一つである『密室劇』の金字塔と名高い名作である。

普段ふざけたブログを書いてるくせに映画は真面目な作品が好きで、本当にすまないと思っている(ジャックバウアー)。

 

舞台はとある裁判所で、主人公を含む12人の登場人物(基本おっさん、時々おじいさん)は陪審員として裁判に参加する。内容は殺人事件であり、スラム街育ちの一人の少年が父親を殺害したとされている。

有罪となれば電気椅子と言う名の死刑は免れないが、法廷で出された証拠品や証言は、被告の少年にとって圧倒的に不利なものばかり。11人の陪審員がそれぞれの理由で有罪と判断する中、唯一主人公だけが無罪を主張する。

陪審員の評決が全員一致するまでは控室で議論しなければならないため、他の陪審員は主人公に対して呆れや疑いの目を向ける。中には「早く野球の試合を観に行きたいんだ!」とキレる陪審員も。

主人公はそれぞれの証拠の確実性について冷静に疑問を投げかけ、全員に検証を提案する。「我々の判断が一人の青年の人生を決めるんだ」と念を押し、陪審員達の主観にまみれた『真実』を揺るがしていく……。

 

メインとなる舞台は陪審員の控室とその横にあるトイレだけ。更に被告の少年は冒頭の十数秒しか映らない。しかも何も喋らず、裁判を聞いていた陪審員達が控室に移動する様子をただ眺めている。

情報が殆ど無いことで、視聴者にも少年に対する一種の偏見を持たせるようにし、それを覆していくような作品になっている。

先入観に囚われず物事を客観視できているか。周囲に流されず確固たる自分の意見を持っているか。大事なのは少年が有罪か無罪かという部分ではなく、物事を決定するまでの過程にある、というようなメッセージ性を感じた。

どれぐらいまでがネタバレになるのか分からないが、陪審員は12人ともしっかりキャラクターが立っていて面白かった。こんなに人数がいても名前を覚えられるのは仮面ライダープリキュアぐらいだ。

裁判員制度のある日本でも、いつか自分が呼ばれるかも知れない。その時自分は何番の陪審員になるのか気になるところである。

真面目な作品でふざける余地が無かったため、記事タイトルだけふざけた。本当にすまないと思っている。