31から始めるブログ

日記、雑記、時々ペイント

『推し』に対する雑感

暖かくなって早速カメムシを5匹討伐した。デイリーミッション達成か?

先日ニュースを観ていたら、『推し活』なる言葉が紹介されていた。

好きなアニメやアイドル等にお金をかけることを『推し活』と言い、その市場規模がどんどん広がっていますよ~というような内容だった。(うろ覚え)

それを見ていて、『推し』という言葉が気になった。

そもそも『推す』とは「何かを他者に薦めること」であり、この言葉が成立するためには『薦められている第三者』が必要である。言葉通りの意味に従うなら、「私は〇〇を推してます」と言われても「誰に?」となる。

定かではないが、この言葉はアイドル界隈が発祥らしい。握手券やら総選挙やらといったイベントで、応援している子にトップになってほしくて「あの子はこんなに可愛いから票を入れてくれ!」と周りに宣伝するのは正に『推す』だし、その対象となっている人を『推し』と呼ぶのはわかる。

しかし、昨今は単にコンテンツ内の特定の人や物を好んでいる・応援しているという意味で『推す』が使われている。

何かを気に入ること自体は全く構わないが、やはりそれだけでは、日本語的には『推す』ではなく『好む』のほうが正しい。ましてやキャラクターやアイドルのグッズを買ったりするぐらい傾倒しているなら、それは『推し活』というより『オタ活』の一つなのではないかと思う。

生まれて間もない言葉は定義が曖昧なので比較するのは難しいが、少なくとも『好き』という言葉は昔からあって一番素直に心情を表せているんだから、無理に新しい言葉を作らなくてもいいんじゃないかと思った。

自分はゲームやアニメが好きだが、アングラ文化が迫害されてきた冬の時代を過ごしている古い人間なので、『推す』という感覚が無い。人によって好き嫌いはあるし、そもそも自分の好きなものは紹介こそすれ、とてもじゃないが他人に薦められないと今でも思っているからである。

そういう意味では、今は周りに隠さなくてもいい程度にアングラが市民権を得ていることに驚きを感じている部分もある。

決して『推し活』をしている人を批判しているのではなく、今流行りの『推し活』という言葉自体の意味が気になっているだけなので、結局は無職のたわごとである。

辞書の『推す』という言葉に「コンテンツ内の特定の人や物を好む」というような自己完結的な意味が追加される日も近いかも知れない。